レジリエンスエンジニアリングとSafety-Ⅱの話題の途中ですが、その後半はまた後日へ回すことにして、ここでは一旦、ヒヤリハットとハインリッヒの法則について触れさせていただきます。
「ヒヤリハット」という用語が用いられるようになったのは、いつ頃なのかわかりませんが、私が社会人になった40年ほど前にはすでに使われていたように思います。「人間は、ハッとしてからヒヤリとくるので、ハットヒヤリの方が正しい」という先生もおられたと思います。
ハインリッヒの法則(1:29:300)は、その名のとおり、ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒが提唱したもので、彼がアメリカの損害保険会社で技術・調査部の副部長をしていた1929年に出された論文が初出とされています。その後、1931年に「Industrial Accident Prevention - A Scientific Approach」が出版され、NASAをはじめ多くの著作物に引用されたことから、「災害防止のバイブル」と呼ばれるようになりました。同著は、1951年に日本安全衛生協会から『災害防止の科学的研究』として邦訳され、翌年、同協会から「安全衛生必携」が出版されると、ハインリッヒの法則はさまざまな安全啓発図書に記載されるようになり、メーカー、ゼネコン、各種団体の発行する「職長(安全)手帳」でも取り上げられ、産業界へ広まっていきました。
ハインリッヒは、論文の中で「傷害を伴った災害を調べると,傷害は伴わないが類似した災害が多数発見されることがよくある。潜在的有傷災害の頻度に関するデータから、同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち、300件は無傷で、29件は軽い傷害を伴い、1件は報告を要する重い傷害を伴っていることが判明した。このことは5000件以上について調べた研究により追認されている」と述べているのですが、「同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害」という記述は、どのようにとらえて良いのか少々悩ましいところです。ちなみに、ハインリッヒの法則はその後、他の研究者がより多くの事例を分析して新たな比率を導き出しています。1969年に発表された「バードの法則」は、アメリカの21業種297社170万件以上のデータから導き出されたもので、ニアミス600:物損事故30:軽傷事故10:重大事故1という比が成り立つとしています。その後、これらの比率については、さまざまな再評価がなされているようですが、比率の数字そのものに固執するのではなく、重症、軽傷、無傷の数がピラミッド構造をなしていると理解しておけば良いと思います。
さて、この災害(事故)比率のピラミッド構造をもとに、災害(事故)防止に取り組む上で理解すべきこととして、次のような考え方があると思います。
・ピラミッドの下には、その構造を支えるにふさわしい数のさらに潜在したヒヤリハット、不安全行動や不安全状態がある。(ハインリッヒは、傷害を伴うにせよ伴わないにせよ、すべての災害の下には、おそらく数千に達すると思われるだけの不安全行動と不安全状態が存在すると述べています)
・被害の程度は確率的なもので、重症災害に至るか軽傷で済むか、あるいは無傷で事なきを得るかは制御できない。
・重症災害を減らすために、ピラミッドの頭だけを削ることはできず、ピラミッド自体を小さくしなければならない。
このことから、不安全状態や不安全行動を減らす取り組みの重要性がよくわかると思います。しかし、不安全状態や不安全行動は潜在していることが多く、慣れによって不安全だと認識できなくなっているケースも多いため、積極的に見つけに行く必要があります。一般的には、安全パト―ルや観察などでそれらを見つけに行く活動が行われていますが、従来の方法にはさまざまな限界があります(これについては、別の機会に紹介します)。
その点、ヒヤリハットは実体験に基づくものであり、本人もヤバイと感じていることから、その報告を引き出す仕組みを整えることで、多くの情報を集めることが可能となります。課題は、その引き出す仕組みです。かつて、ヒヤリハットはエラー(失敗)であり、事故の芽であると理解されていたころは、実際に経験したことでも「想定ヒヤリ」として報告する制度を導入したり、航空界の安全報告制度のように「免責」を明確にすることで報告に対するハードルを下げる仕組みが取り入れられ、成果を上げてきました。
ヒヤリハットは、災害(事故)に至る前に無事に済んだ出来事ですから、その経緯や背景を本人も正直に話しやすく、背後要因分析もより正確に行うことができます。しかし、ヒヤリハットは自分の注意不足や知識不足が原因だとして、自分を責める態度に固執すると、背後要因に踏み込むことができず表面的な対策になってしまい、同様のヒヤリハットが繰り返されて、いつか大きな事故を招くことになってしまいます。自分を責めることは潔いことですが、それではいつか同じような事象で同僚が大ケガをするかもしれないという発想を持つことも大切です。勿論、責任を誰かに転嫁する行為はいけませんが、自分のヒヤリハット(エラー)は「引き起こされた」という視点から、なぜ引き起こされたのかを追究することが大切なのです。
また、自分が同じようなヒヤリハットを繰り返していることがわかれば、自分がエラーを起こしやすい状況を、自分自身とチームのメンバーが理解することができます。例えば、急な割り込みが入ると失念しやすいという傾向がわかれば、自分で意識してその場面で注意するとか、チームのメンバーがひと言アドバイスをすることで、エラーを防ぐことができます。
一方で、ヒヤリハットを出せ!出せ!と強要するだけでは、仕組みづくりにはなりません。ある取り組みの好事例ですが、報告されたヒヤリハットを掲示し、同様のヒヤリハットを経験した人は掲示の下にシールを貼ることにし、一定期間内に貼られたシールが多い報告を表彰するというものもありました。上述の「想定ヒヤリ」も仕組みのひとつと言えますが、ヒヤリハット活動を盛り上げるための工夫、仕組みづくりは極めて重要です。
そのような中、Safety-Ⅱという新しい安全の捉え方により、ヒヤリハットが事故の芽ではなく、グッドジョブだと考えるようになってきたことは、とても良いことだと言えそうです。
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