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雪子のエラー/病院のエラー対策とカイゼン



物語のなかで、後に主人公の専一と結婚する看護師の雪子は、勤務中にエラーをしてしまい、落ち込んでしまいます。医師から指定された2倍の量の薬を点滴ラインへ注入してしまうというエラーでしたが、このエラーは実際に起きた事例を題材としています。火力、原子力発電所や化学プラント等の制御、運転監視システムは、インターロックやフィルセーフなどの多重防護により、運転員が誤操作をしても直ちに大きな事故が起きることはまずありません(ただし、プラントが非常停止することはあります)が、医療の現場では、医師や看護師のエラーで患者が死亡するという事故が起きてしまいます。それは、多重防護の仕組みを取り入れることが難しいこと、向き合う対象の患者が一人ひとり異なり、またその状況は日々変化するなど、とても不安定な存在であることなど、さまざまな要因があるからです。発電所では、基本的には「正常」な状態であるプラントを相手に運転操作を行っていますが、病院の場合は常に「異常」を相手にしていると言っても良いでしょう。また、薬の名前や容器がよく似ていて間違えた、薬の単位であるミリリットルとミリグラムを間違えたという事例も繰り返し発生していました。

よく似た薬剤名によるエラーとして有名な事例は、ヒドロコルチゾン製剤「サクシゾン」を投与すべきところ筋弛緩剤「サクシン」を誤投与して患者が死亡するという事故が平成20年11月に発生しています。これを受けて、日本医師会では「医薬品の販売名の類似性等による医療事故防止対策の強化・徹底について(注意喚起)」を発出するなど対策をとってきましたが、平成21年8月には「サクシン注射液」の製薬メーカーであるアステラス製薬が、その販売名を「スキサメトニウム注」に変更しました。

さて、雪子のエラーは先輩看護師との二人作業による不適切なコミュニケーションが原因であり、その背景には権威勾配の問題がありましたが、これらのテーマにつきましてはすでに別のところで扱いましたので、今回は医療分野の安全について「カイゼン」と関連付けた話題にしたいと思います。私がお世話になった河野龍太郎さんについては「m-SHELモデル」のところでご紹介しましたが、東京電力から自治医科大学へ移られる前から医療分野の安全に大きく貢献されており、2004年には『医療におけるヒューマンエラー』という本を医学書院から出版されました。この本の中で河野さんは、産業界において実績のあるヒューマンエラー対策を例にしながら、医療分野におけるさまざまなエラー対策を紹介されています。例えば、「戦略的エラー対策」(これについては別途話題にしたいと思います)として、①やめる(なくす)、②できないようにする、③わかりやすくする、④やりやすくする、⑤知覚させる、⑥予測させる、⑦安全優先の判断をさせる、⑧能力を持たせる、⑨自分でエラーを発見させる、⑩エラーを検出する、⑪エラーに備える、という各ステップについて具体的な例を紹介していますが、それらのなかの多くは、古くから生産現場などで実践されてきた「カイゼン」と共通しています。

私も以前に河野さんの講演を聞いたことがありますが、その時には、病院のバックヤードにおけるチューブから薬剤を絞り出す作業について、「1本ずつ手で絞り出していて、しかも最後の方はなかなか出てこないので相当な時間をかけていた」とし、「時間効率を考えると最後の部分は捨ててしまった方が良い」(この作業に時間が取られ、そのほかの仕事に人的、時間的余裕がなくなってエラーを誘発する)、「手で絞り出すのは大変で非効率だから、ちょっと探してみたらローラーで一気に絞り出す器具が売られていたので使ってみたら作業が格段に楽になった」というようなお話しをされていました。

生産現場でチューブから中身を絞り出すような作業が繰り返しある場合は、すぐにカイゼンし、短時間で確実に絞り出す道具を工夫、導入します。病院ではこのような作業が日常的ではないのかもしれませんが、当時は、カイゼンするという発想や取り組みが、生産現場をはじめとする産業界から随分遅れていたように思います。また、今でこそ歯磨き粉(粉ではありませんが今でも粉と呼びますね)やワサビなどのチューブは、中身がきれいに出てくる素材で作られていますが、薬剤の場合はその成分にもよるかもしれませんが、新しい素材の導入が遅れていたのかもしれません。

では、近年の医療分野、特に病院で、カイゼンが進んでいるのでしょうか? その実態を私は把握していませんが、少しで医療スタッフの負担が軽減されるよう、カイゼンが着実に進展していることを期待したいと思いますし、命に直結する問題ですから、産業界でカイゼンに関わってきた方が、病院のカイゼンを指南するという取り組みがあっても良いと思います。

一方で、私たちには「病院のカイゼンは遅れている」と言う資格はなさそうです。それは、生産現場ではカイゼンが積み重ねられている例が多いものの、オフィスワークについてはまだまだムダが放置されているからです。ムダな会議、ムダな資料作成、ムダな手続き、紙による補完などなど、ムダを挙げればきりがないオフィスがまだまだたくさんあるのではないでしょうか? オフィス(最近では在宅勤務を含めて)で仕事を行う管理間接部門がムダを続けることで、現業部門の仕事に直接または間接的な影響を及ぼし、現場の安全を損ねているケースも考えられます。例えば、実は必要性がまったくないような報告資料を慣例的に現場に作らせているようなケースです。話が変なところへ飛んでしまいましたが、ヒヤリハットやグッドジョブの取り組みは、後発だった医療界で活発に取り組まれるようになりました。私たちは、自分たちのヒューマンエラー対策について、過去や現状に満足するのではなく、弛まぬ努力と工夫、まさしくカイゼンを続けていくことが大切です。

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