今回でようやく最後の戦術となります。ステップⅣ「被害を最小とするために備える」の「⑪備える」です。エラーが起きたときのことを想定して、被害が小さくなるようにあらかじめ備えておく対策です。建設工事現場では墜落制止用器具(いわゆる安全帯)が用いられ、状況によっては安全ネットが張られることもありますが、これらは「備える」対策の典型的な例です。ちなみに、物語のなかでは、戦略的エラー対策について紹介している「安全マネジメントの具体的施策」の章で、火力発電所の作業員が柵を越えて転落し、安全帯によって宙吊りになるシーンが出てきます。この作業員が付けていた安全帯は従来型のものでしたが、この物語が出版される直前の2022年1月から、6.75m(建設業は5m)以上の作業ではフルハーネス型の使用が義務付けられました。従来型の安全帯の場合、床面への墜落が免れても物語のように宙吊りになってしまい、すみやかに救出できない場合は腹部の圧迫により死に至るからです。フルハーネス型は宙吊りになってもパラグライダーにぶら下がっているのと同じ状態になりますから、身体のどこかが強く圧迫されるようなことはありません。6.75mというのは、フルハーネス型の機能が有効になる高さであり、これより低い場合は床に足が届いてしまいます。上述のとおり、従来型の安全帯は宙吊り状態からいかに迅速に救出するかが大きな課題であり、これを想定した訓練を実施することも一部では行われていました。回転機械を扱う工場では巻き込まれ災害が発生する例がありますが、このような災害を想定して救出手順を確認したり訓練を行う例もあります。私は「備える」はここまで行う必要があると考えています。労働安全衛生規則633条では、負傷者の手当に必要な救急用具及び材料を備え、備付けの場所及び使用方法を労働者に周知しなければならないとされており、救急箱の品目についても次のとおり具体的に規定されています。 1.ほう帯材料、ピンセット及び消毒薬、2.火傷薬(高温物体の取扱い及び火傷のおそれのある作業場に限る)、3.止血帯、副木、担架等(重傷者を生じるおそれのある作業場に限る)。しかし、担架置き場が明示されていても、担架に埃がかぶったままになっていることはないでしょうか? また、大規模地震が発生してエレベータが使用できなくなったとき、どのようにして負傷者を運ぶか、検討したことはあるでしょうか? 「備える」で配備するものについては、正しい使い方を教える、定期的に機能確認や劣化更新を行うほか、それが実施に使われた(作動した)場合の先のことまで想定して備えておく必要があります。
「備える」には、このほかにも、火災や自然災害の発生に備えた防消火設備や備蓄資機材をはじめ、以前に話題にした「フェイルセーフ」の仕組みなど、私たちの周りにはさまざまな備えが工夫されています。しかし、それらは実際に起きた災害を踏まえて設置されたものが多いと考えられます。自然環境はもちろんのこと、少子高齢化、女性活躍を含めたダイバーシティ、IT活用など様々な社会的変化が起きているなかで、これまでの延長線上にない新たな事象が様々なかたちで発生しやすくなるものと考えられます。災害や事故が起きる前に、少なくともヒヤリハットの段階で、どのような事象が発生し、どのようなリスクを伴うのか、正しく評価することが今後ますます重要になってくるものと思います。
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