年末に「事故の歴史展示館」(JR東日本総合研修センター)を訪問させていただきましたが、その見学にはJR西日本のMさんをはじめ同社の運転士の方たち10名程度が一緒に参加されました。そのMさんこそ、私たち異業種交流安全研究会が発足するきっかけを作っていただいた方です。
そのエピソードは、このブログのはじめの頃に「異業種交流 安全研究会のなりたち」としてご紹介させていただきました。福知山線事故の1年ほど前、当時私が勤務していた火力発電所へ、MさんたちJR西日本の若い運転士のみなさんが訪ねてこられ、「今のままでは、当社はいつか大きな事故が起きてしまう。変えていかなければならない」と話されました。Mさんたちは、会社の自己啓発支援制度を活用して、若いメンバーで安全の勉強会を立ち上げ、終業後に集まって研さんをしているとのことでしたが、他社を訪問するにあたっては、国鉄入社の先輩たちから「お前らだけ、いいかっこうするつもりか!」と中傷されることもあったそうです。
Mさんは今、N電車区の副区長を務められていますが、先日の見学では自らが引率係りとなり、上司の区長をはじめ若手運転士のみなさんを引率してこられました。見学中、同社のみなさんは西村さんの説明を真剣な眼差しで聴き、熱心にメモを取っておられました。
福知山線の事故は2005年4月でしたので、今年で20年になります。当時20代だったМさんは、40代となり多くの部下を抱える立場となりましたが、若い運転士のみなさんとの心的距離はとても小さいように思われました。若い運転士のみなさんにとっては、とても頼りになる、そして本音で相談できるよき上司なんだと思いました。そして、何より素晴らしいことは、20年前の自分の思いを今の20代の後輩たちにしっかりと受け継ごうとしていることだと思います。私も、相応の熱意を持って安全人材の育成に努めてきたつもりですが、Мさんには到底かないません。
さて、事故の歴史展示館はその展示内容が充実していることは勿論ですが、先日であれば、西村さんが務められた「語り部」の役割が大きいと思います。展示物や動画などを見るだけで、多くのことを心に刻み、身体全体で受け止めることができますが、「語り部」という存在は、その学びや気づきをより深く、より強くする力を持っていると思います。「語り部」が話す内容を文字や、あるいはビデオにしても、それは一方通行になりやすく、場の空気と一体になることはないように思います。勿論、リアルな語り部の場合は、質問をすれば応えてくれますから、そこには双方向のコミュニケーションが成り立つわけですが、それだけではない何かが作用しているように感じられました。近い将来、AIが語り部の役割を果たしてくれるかもしれません。そのAIは、人間をはるかに超える知識、正確なデータを駆使することができでしょう。しかし、共感は生まれづらいように思います。事故の歴史展示館という一般の方を対象にしていない施設の場合、運転士であれば同じ運転士として多くの苦労されてきた方が語り部を務めることで、共感し、学びをより深く、より強くするのではないでしょうか?
語り部は、震災の現地でも大きな役割を担っていますが、産業安全の分野では、危険体験施設においても重要な存在です。危険体験には、自分の身体で体感するものや、バーチャルで体感するものなどがありますが、いずれも自らの死をイメージするほどの体感はできません。ややもすると「こんなものか」「これなら自分は大丈夫」と甘く理解してしまうことがあります。また「体験」だけで終わってしまい学びが表面的になってしまうこともあるでしょう。そこで必要となるのが「語り部」の存在です。災害が発生した背景、経緯、災害に伴うさまざまな影響や事後処理の大変さ、そのようなさまざまなことを語り部が補うことで、表面的な体験から自分事として深く考える機会に変えることができるのだと思います。
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