2005年4月25日に発生した事故から19年が経ちました。事故現場では追悼慰霊式が行われ、遺族、被害者、JR西日本の幹部らが祈りを捧げました。 JR西日本の安全性向上対策は今どうなっているのかを検証する記事がありましたが、まだまだ道半ばとはいえ、19年の長きにわたり取り組みを続けていることに、まずは敬意を表したいと思います。悲惨な事故を二度と起こさないために、今も現場で頑張り続けている方たちがいます。
「道半ば」と表現しましたが、この道にはゴールがありませんので、いつまで経っても道半ばを脱することはできません。19年の間には、前進したと感じる場面もあれば、後退したと思えることもあったはずですが、歩み続けることが大切だと思います 組織(会社)の安全性を維持、向上することは、組織にとって極めて重要なことですが、一方で、これほど難しいテーマはないと思います。しかも、公共交通機関は「利用者」という存在があります。 組織内部では、トップの強力なリーダーシップ、各種制度(安全報告制度など安全に注目した制度は勿論のこと、教育、人事、給与などの制度も含む)、現場で実践に取り組む実務者など、さまざまな構成要素が機能しなければなりません。そして、それらは多くの場合相互に関係しあっています。制度については、大きい組織であるほど、その柔軟性を失いやすいものと考えられます。大きい組織であれば、構成するメンバーの職種や役割はさまざまですし、都市部と過疎地などではさまざまな違いがあるはずです。これに合わせて制度も柔軟に変更することが望ましくても、小回りが利かないことがあるでしょう。
組織外では「利用者」も安全に大きく関わっていますが、これを組織側が制御することは不可能です。先日、JR東日本が「カスハラには毅然と対応するという」方針を策定したという報道がありました。それだけカスハラが多く発生し、社員の心身に影響を与えているということであり、これは直接、間接的に安全の低下を招いている可能性があります。(福知山線脱線事故では運転席のスグ後ろにいた利用者の言動が影響を与えたと言われています)
107人という大きな犠牲を伴う事故ですから、その後の対策や安全性向上の施策には外部関係者(遺族や報道機関など)が強い関心を持っています。その犠牲が大きいから、その分期待も大きいでしょう。しかし、そのことがかえって足かせになっていたり、迅速性や柔軟性を損ねることにはなっていないでしょうか? 社会は大きく変化しています(少子高齢化、価値観の変化、人材難など)し、自然環境も変化し災害は高頻度化、激震化しています。安全性を維持していくということは、これらの変化に適切に対応して諸施策を改良していかなければなりません。当然うまく機能することもあれば、結果的に「改悪」の評価を下されるケースもあるはずです。これに一喜一憂して、厳しい評価をしていたらスピードが落ちて変化への対応が後手に回ってしまうでしょう。安全性を向上するということは、変化する時代では更なる困難が伴うはずです。
来年で事故から20年となります。この節目に、さまざまな振り返りや検証が行われることと思いますが、策定された安全性向上計画における各種施策が計画どおりに実行されているか否かということに留まらず、その施策の効果が期待どおりか、社会の変化に対応できているか、社会の変化を先取りした検討が行われているかといった視点でも検証し、もしもそこに課題や懸念があるのであれば、その背景にある真の要因に目を向けることが大切だと思います。
またその際には「利用者」にも留意すべきでしょう。あの脱線事故は、JR西日本という組織の問題だけではなく、利用者も安全に大きく影響する存在として、その質が問われているのではないでしょうか?
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