先日の安全啓発センターの話題では、本題から離れてしまい失礼しました。 ・・・と言いつつ、また少し脱線しますが、「啓発」と「啓蒙」について触れておきたいと思います。 「啓蒙活動」のように「啓蒙」という用語はよく使われます。一方で「自己啓発」はあっても「自己啓蒙」とはいいません。「啓発」と「啓蒙」は何が違うのでしょうか?
「啓蒙」とは「人々に新しい知識を与え、教え導くこと」という意味です。「啓蒙」の「啓」字は「閉じたものを開ける」「未知の物を明らかにする」「教え導く」などの意味があり、「蒙」は「まだ道理をわきまえない者」「道理に通じない」「おろか」などを意味しています。よって「啓蒙」は蒙(おろか)な者を指して、「未熟で知識の乏しいものに対し一方的に教え導く」というニュアンスを持つことになります。
一方の「啓発」は「人が気付かないでいるところを教え示して、より高い認識や理解に導くこと」を意味しており、「啓蒙」が高飛車なニュアンスを持つのに対し、「啓発」は自発的な思考を促すニュアンスを持っています。一般社会では「啓蒙」よりも「啓発」の方を使うことが適切と言えそうです。
さて、本題に戻りますが、日本航空の安全啓発センターの展示室には、123便事故の直接原因とされる後部圧力隔壁や垂直尾翼をはじめとする残存機体、座席、コックピット・ボイスレコーダー、乗客の方々の遺品や遺書、事故の新聞報道や現場写真などが展示されています。また、資料室には世界の主な事故や事故の教訓に基づきどのような改善がされたかを示す資料、被害の拡大を防いだ事例などがパネル展示されています。 事故の悲惨さやその衝撃の大きさは、写真や映像でも十分に伝わるはずですが、実物がそれを前にした者の心に語りかけてくるものは、写真や映像とは違った何かが伝わります。また、事故当時の報道に関する記録は事故を起こすと社会からどう見られるのかの理解を促し、遺族や事故に対応した社員たちの手記により、事故後の心の痛みを深く理解することができます。そして、もうひとつ大切なことは「語り部」の存在です。展示物や資料だけでは伝わらないこと、伝えづらいことを伝える大きな役割を担っています。 事故を踏まえた安全啓発施設には、ほかにANAの「安全教育センター」(雫石事故)、JR東日本の「事故の歴史展示館」(奥羽本線脱線事故など)、JR西日本の「安全考動館」(福知山線脱線事故)などがあります。なお、安全考動館については遺族の方の了解が得られていないことから事故車両の展示は行われていませんが、同社では社員を対象に、事故現場に設置された「安全の杜」を訪問する取り組みをしています。
悲惨な事故を自分事として学ぶための施設としては、これら以外に化学、製造、建設、電力などの分野では「危険体験研修」の施設があります。これらの施設では、過去の事故事例を実物展示を用いながら学ぶことができるようになっていたり、墜落、挟まれなどの代表的な事故を体験・体感できるようになっていますが、体験内容の一部には「なんだこの程度か」と思えてしまう例もあるため、危険軽視につながる可能性も否めません。やはりここでも大切なのは「語り部」の存在であり、事故を起こすことで、遺族、同僚などがどれだけ辛く悲しい思いをするのかといったことを言葉で伝えることが大切だと思います。
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