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執筆者の写真代表 榎本敬二

日本航空 安全啓発センター

8月15日に日本航空123便の事故について投稿させていただきましたが、今回はその関連として、同社の安全啓発センターについて記載したいと思います。 同社のホームページによると、同センターは、123便事故の教訓を風化させてはならないという思いと、安全運航の重要性を再確認する場として、2006年4月24日に開設し、同センターを「安全の礎」として、すべての日本航空グループ社員がお客さまの尊い命と財産をお預かりしている重みを忘れることなく、社会に信頼いただける安全な運航を提供していくための原点としていくとしています。

同センターは、日本航空グループの関係者以外も見学が可能であり、私はこれまでに3回訪問させていただいています。展示内容については、同社のホームページを参照していただきたいと思いますが、墜落現場から回収された残存機体の一部や、かろうじて原型を保っている座席などは、事故の衝撃の大きさを示しており、数々の遺品、そして遺書は見学者の心に直接訴えかけてきます。


ここで思い出しましたが、先日、事故から39年を前に某新聞社の記者が同センターを取材し、「社員の誠意の一方で記者が覚えた「違和感」」と題して記事にしています。 本題から離れますが、まずはその記事について書かせていただきます。ご容赦ください。

その記者は、取材に対応した日本航空の社員が遺書について「皆さま同じようなことを書かれております」と話したことに違和感を持ったようです。

生存者4人を含め、乗客乗員524人にはそれぞれの恐怖やつらさがあったはずであり、それをひとまとめに説明してしまったことに違和感を感じたようです。

私はこの記者の感性を否定しませんし、むしろそのような感性は素晴らしいとも思います。しかし、ことさらそのことを記事のタイトルに取り上げて記載することの必要性を感じませんでした。

私も展示されている遺書を読みましたが、どの遺書も、日本航空を責めることなく、これまでの人生に対して家族に感謝し、最後の想いを伝えようとしています。私は、自分の命がまもなく失われることを自覚しつつ、これほどまでに冷静に、そして誰かを恨むのではなく、感謝の気持ちをつづった方々をとても神々しく思います。遺書を残せた方はわずかでしたが、多くの方が同じような思いだったのではないかと思います。

記者を案内した社員は、「加害者」の立場としてこのようなことを口に出せないなかで、「皆さま同じようなことを書かれております」と表現したのではないかと思うのです。また、社員から進んでこう話したとは思えません。記者からの何らかの問いかけに、そう答えたと考えるのが自然ではないでしょうか?

記者と社員の間の会話、その文脈のすべてが記事にされていませんので、どのような文脈の中で、どのような趣旨による発言だったのかは分かりませんが、私には、一部分だけを意図的にクローズアップしているように感じられました。

この記事は、「この墜落事故を「悲惨な事故」として一緒くたに報じてしまうのではなく、亡くなった人たちの物語を丁寧に取材し、それぞれの関係者が抱く空の安全への思いに耳を傾けていきたいと気持ちを新たにした。」と締めくくっています。この記者が、その気持ちを新たにされたことは素晴らしいことだと思います。そして、丁寧に取材し、耳を傾けていきたいという思いを実践されるのであれば、事実を正確に表現した上で、記者の感想や受け止め方、意見を書いていただきたいと思います。


(余談ですが、十数年前に私が本店に勤めていた際、この記者が所属する新聞社の取材を受けたことがあります。その数年前、私が現場に勤務していたときのことを聞かれたのですが、記事はあたかも当時本店に在籍していた人物(相応の意思決定権を持つ存在)が述べたかのように記述されていたのです。当然、私は経営層から厳しく叱責されました。インタビュー記事の場合は、一部分のみを切り出して作文すると、まったく違ったことを話したかのような印象を与える内容になってしまいます。記者本人が自分の意志で書いているのか、実際のインタビューの全体を知らない上司が添削するなかでそうなってしまうのかわかりませんが、恐ろしいことだと思います)


一方で、520人が一度に亡くなるという悲惨な事故だから社会へ与えるインパクトは大きく、多方面から強い関心が集まるのですが、毎日のように起きている事故、災害、事件等で突然亡くなる方にも、それぞれの物語があります。また、自ら死を選ばざるを得なかった方も同様でしょう。

悲惨な事故には、犠牲になる方の人数の多い少ないは関係ありません。多くの事故、災害、事件の背景には、その時代の社会的な課題が関わっています。例えば池袋の自動車暴走事故は、上級国民と称される高齢者が若いお母さんと幼い子どもを死亡させたとして社会から注目され、高齢者が運転する自動車の暴走事故が社会問題化しましたが、もしもあの事故が、一般庶民の高齢者が高齢者を死亡させるケースだったとしたら、あそこまで急速に社会問題化したでしょうか? しかし高齢化社会と高齢者の運転という社会課題は、その前から認識されていたのです。

1つひとつの事故、災害、事件で犠牲なる方が少なくても、その背景に社会課題が関わっているのであれば、その課題を解決しないかぎり、同様の事象が繰り返され、多くの方が犠牲になるわけです。そういった視点も是非持っていただきたいと思います。


本題から離れたことを長々と失礼いたしました。次回は本題に戻りたいと思います。


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