1985年8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故から39年が過ぎました。
私は1983年に中部電力へ入社しましたが、当時は火力発電所で1年間あまりの初級研修を終えて、初級要員(会社と労働組合が締結した要員協定上の1人としてカウントされる)として働いていました。電力安定供給の重要性は研修で学ぶものの、その頃の私は、その重要性と責任をまだ実感できていなかったように思います。123便の事故は、その後私が安全やヒューマンファクターについてライフワーク的に関わるきっかけになった出来事の1つだと思います。
今年も8月12日を迎える前から日本航空の関係者らが慰霊登山を行い、12日当日も遺族や地元の方、日本航空の鳥取社長をはじめ社員らが墜落現場の御巣鷹の尾根に登り、墓標や慰霊碑に花を手向け、祈りを捧げました。午後6時から墜落現場のふもとにある「慰霊の園」で執り行われた追悼慰霊式には、遺族や地元の方、日本航空の関係者などおよそ160人が参列したとのことですが、39年という月日が流れるなかで、遺族の高齢化により慰霊登山への参加を諦めざるを得ない人が増えているといいます。
遺族でつくる連絡会の事務局長を務める美谷島邦子さん(77歳)は、事故から40年を迎えることができない遺族がたくさんいることを踏まえ「その遺族の気持ちを背負って、次の世代に事故のことを伝える役目を果たしていきたい」と述べられたそうです。
また、鳥取社長は「安全にはいかなる緩みや妥協が許されないものだと改めて感じながら登らせていただいた。事故を二度と起こさないことは当然だが、経営が異変にも気づけるような感度を持って臨みたい」と述べられたと報道されています。
慰霊登山は、日本航空とグループ会社社員の安全研修の一環としても続けられており、入社3年以内と10年目に、安全啓発センターで事故について学んだ後に御巣鷹の尾根へ登るそうです。
当時を知る社員は昨年3月末時点で154人になったと言います。今年はさらに減っているでしょう。このような状況で、123便事故を伝承していくことの難しさを懸念する声があります。安全啓発センターに保存されている残存機体や装備品の数々、搭乗していた方々が残した遺書などは、今後も私たちにさまざまなことを訴え続けてくれるはずです。また、自分が年を重ね、あるいは親となることで、新たな受け止め方ができるようになります。さらに、この事故を題材にした多くの書籍、ネット記事がありますし、日本航空の社内には公開されていない数々の資料もあるはずですから、当時を知っている社員がいなくなっても、この事故を伝承していくために必要な資料や情報は十分に蓄積されているのではないでしょうか? 勿論、生の声を聴くことの影響力が失われてしまうのは残念なことです。
しかし、肝心なことは、この事故から学び続けよう、風化させてはならないという意思ではないでしょうな? その意思は、日本航空の経営層や社員だけの意思ではなく、社会全体のあるいは私たち一人ひとりの意志です。その意思が失われないかぎり、また新たな発信があり、学びがあると思います。日本航空の現役社員であった間は口外できなかったこと、話すことが辛くてできなかったことも、徐々に発信されるものと考えられます。 来年は事故から40年の節目を迎えますが、これを機会に、社会全体で安全を伝承していくことの重要性が議論されることを期待したいと思います。
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