戦略的エラー対策の解説も、ようやく後半に入ってきました。次は「⑦安全を優先させる」です。私は、この「安全を優先させる」が一番難しいのではないか?と考えています。それは、戦略的エラー対策の11の戦術をm-SHELモデルを用いて考えたとき、「安全を優先させる」以外の10の戦術については、S、H、Eのどれかに具体的な対策を施すことができる、すなわち、ソフト(手順書等)、ハード(設備、施設)、環境について具体的な改善策を施すことができるのに対し、「安全を優先させる」という戦術は人間(個人)や組織の価値観に踏み込む必要があること、またヒューマンファクター的に人間の弱い面を克服しなければならないからです。それは、どこの現場でも「安全第一」を掲げているにも関わらず、災害が起きてから振り返ると、安全第一が実践されていないケースが多いことからもわかります。作業者に「この現場では安全第一ですからね」と諭せば、ただちに「わかっています」と返答するでしょう。しかし、実際には省略や近道などの不安全行動が行われてしまいます。
そこで大切なことは、ひとつ前の戦術「⑥認知・予測させる」からのつながりです。「安全第一」がスローガンで終わってしまう要因のひとつは、リスクが具体的かつ正しく認知・予測されないまま作業が行われている点にあると考えられます。危険を認知し、どのような災害が起きるかを予測できていて、その上で行動の選択肢が複数ある場合、初めて「より安全な方を選択する」ということが可能になるわけです。物語のなかでは、「プレッシャー」と題する章のお話しがあります。真夏の電力需給がひっ迫する状況で、火力発電所の運転を継続するか非常停止するかを迫られるシーンです。今、止めると電力系統に大きな影響を与えてしまう。あと1時間このまま運転を継続できれば、夕方になって出力を下げることができる。さあ、どうする?というシーンでした。この場面では、結局、異常が急速に進展したため運転責任者の秋本は非常停止を判断しましたが、あと少し判断が遅れていたら、設備に甚大な影響を与えてしまうところでした。運転継続か非常停止か、二者択一の選択を迫られたとき、どちらがより安全かを落ちついて評価できていたら、もう少し早く非常停止の判断ができていたかもしれません。
しかし、現実には様々なプレッシャーがかかります。戦略的エラー対策について解説した『ヒューマンエラーを防ぐ技術』(河野龍太郎著)では、航空パイロットの世界の例として「臆病者と呼ばれる勇気を持て」という言葉が紹介されていますが、これは悪天候下で着陸をするときに、臆病者と呼ばれても良いからダイバート(代替空港へ着陸)せよというお話しですが、前方を飛んでいる航空機は着陸したのに、自分はダイバートするという判断には大きなプレッシャーがかかります。しかし、前の航空機が無事着陸できたからと言って、自分が無事に着陸できる保証はありません。それは操縦技術の差ではなく、天候は秒単位で変化するからです。このように「安全を優先させる」を個人に委ねると、その個人に強烈なプレッシャーがかかり、それが判断を間違わせることは容易に考えられます。このため、「安全を優先させる」は個人に委ねるのではなく、組織の価値観として確立する必要があります。ダイバートしたパイロットの耳に「あいつは臆病者だ」という陰口が聞こえてくるようではいけません。「的確な判断をした」と称賛する組織であれば、個人の判断は間違うことはないでしょう。
同様に、生産性や納期、売り上げ重視の風潮が根強い職場では、リスクを正しく把握、評価することができず、過少に評価するか、あるいは意識しない(例えば売り上げだけに意識が向く)という状況が発生(習慣化)しますから、常に安全を基盤とする文化を根付かせることが必要です。そのためには、何事についても常に安全を最優先しているかを日常的にチェックする習慣、判断を迷わせないための安全最優先の判断基準を設定する習慣などを組織の行動様式として根付かせる努力が不可欠だと考えます。また、知らないことや自信がないことは知らない、自信がないと言える雰囲気を醸成する取り組みも重要です。ちなみに、「臆病者と呼ばれる勇気を持て」は某航空会社のトップが語った言葉ですが、これに対し「臆病者と呼ばせない文化をつくれ」という言葉もあるようです。
今回はちょっと長くなりましたので、ここで一旦終わります。
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